弦楽四重奏第一番「Espoir」
String Quartet 1st 'espoir'
楽曲について
弦楽四重奏第一番「Espoir」は2013年頃の作品です。タイトルはフランス語で「希望」。全4楽章、演奏時間は15分37秒。
この曲は、ある声劇企画からの依頼として始まりました。求められていたのは一曲の子守歌です。
物語の中心に、鍵のかかったオルゴールの箱があります。戦争に発つ夫が妻に遺した箱。妻は鍵を失くし、作り直しを頼むものの、戦時下では鍵ひとつ作るのにも時間がかかる。病を得た彼女に、待てるだけの時間は残されていませんでした。箱は開かないまま、六十年近くのあいだ持ち越されていきます。
劇中で実際に鳴るのは、オルゴール版に編曲した第2楽章だけです。ではなぜ弦楽四重奏を書いたのか。作中の設定上、そのオルゴールには「元になった曲」があるからです。夫婦が意気投合するきっかけとなった、二人が共に好きだった作曲家の曲。箱に収められたのは、その旋律のオルゴール版という位置づけでした。
ならば、元の曲も実在していなければならない。そう考えて書いたのがこの弦楽四重奏です。作中には一度も登場しません。聴かれることのない、背景を裏から支えるためだけの曲として作りました。
各楽章
第1楽章 変ロ長調 Allegro(八分音符=144/四分音符=72)
おもちゃ箱を開けたときの楽しさを書いた道化曲です。中身が何かも知らないまま蓋を開けて、飛び出してきたものに笑っている。そういう無防備な速さで始まります。
第2楽章 ヘ長調(四分音符=30〜60)
作中の子守歌にあたる緩徐楽章で、オルゴールとして実際に鳴るのはこの楽章です。もうすぐ一日が終わってしまう寂しさと、子守唄を歌ってくれる誰かがそこにいる安心と、そのあいだの往復を感じていただく楽章です。
第3楽章 変ホ長調 ワルツ(四分音符=160前後/付点二分音符=約54)
舞曲楽章。シンデレラの舞踏会のような、女の子の憧れとしてのワルツです。三拍子に乗って、まだ見ぬ誰かと踊っています。
第4楽章 変ロ長調 Andante(四分音符=72〜75)
遠い時を超えた望郷を書いた曲です。歩く速さで、もう戻れない場所のほうを向いています。
構成と編成
配置は急—緩—舞曲—緩。前半3楽章は古典的な4楽章構成そのままですが、終楽章だけを緩徐楽章に差し替えています。通常ならここで速い楽章を置いて華やかに閉じるところです。しかしこの作品では、それはできませんでした。箱が開いたあとに盛り上がりは要らないからです。
第1楽章と第4楽章は、ともに変ロ長調。同じ調に還ってきて、同じ場所で閉じます。けれども、そのあいだに流れた時間の分だけ、還ってきた場所の見え方は違っているはずです。
弦楽四重奏は、音量も音色の多彩さも使えない、ごまかしの効かない編成です。四つの声部だけで和声と対位法のすべてを担う。当時の私は左手の腱を失った直後で、速いパッセージの弾けない状態にあり、舞台からも離れていました。そんな時期に最も厳しい編成を選んだのは、たぶん偶然ではなかったと思います。
タイトルの「希望」が何を指すのかは、物語を知る方にはお分かりいただけるでしょうし、知らずに聴いていただいても構いません。
作曲:落葉剛 写真:Triona Klee